近藤喜文さんの見つめたもの: 序破急

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月刊アニメージュ 1998年4月号 より
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近藤喜文氏の追悼特集より。

―高畑勲さん、宮崎駿さんのなくてはならない仕事の片腕として、アニメーションの世界に大きな足跡を残した稀代のアニメーター・近藤喜文さんが、98年1月21日に47歳の若さで亡くなった。本誌ではご遺族の方々、そして多くの方々の協力を得て、改めて近藤さんが残した仕事の数々を振り返る。

世界でも屈指の「うまい」アニメーターでした。

AM

「一番初めに近藤さんの名前を意識した作品は?」

庵野

「「赤毛のアン」だったと思います。その後で「ガンバ」や、「ど根性ガエル」などの近藤さんの名前も気づくようになりました。」

AM

「どういうアニメーターという印象でしたか。」

庵野

「仕事では「火垂るの墓」の時にお会いしたんですが、ご本人はいつもニコニコしているイメージでしたね。ただ、あのときに一緒に仕事できて本当によかったと思います。近藤さんは、世界でも屈指の「うまい」アニメーターだったと、僕は思います。かえすがえすも今回のことは残念です。」

AM

「例えば、宮崎駿さんと比べて、近藤さんの絵や、タイミングというものは、全然違う個性ですか。」

庵野

「違います。近藤さんのほうが、ナチュラルな芝居だと感じます。宮崎さんのほうは、やっぱり漫画だと思うんですよ、タイミングや表情が。

うまい下手で言ったら「両方うまい」としか言いようがないですけど。」

AM

「「おもひでぽろぽろ」では、リアルな究極の自然な動きを、高畑さんとの仕事で目指したと思います。」

庵野

「アニメは絵である以上、漫画なんですよ。本物の役者がやっている芝居への置き換えには向かないと思うんです。幼い原作の絵のほうをアニメにして、現在の現実の描写のほうは、実写で表現すればよかったのではないかと、僕は思いました。あれを絵で挑戦したことは、いいとは思いましたが、世界一の人が2人挑戦しても、うまく表現されていなかったと感じます。僕ではとてもムリです。アニメーションで、もっとも難しい部分だと思います。

ヒトは死から逃れられないので、仕方のないことだとは思いますが、それにしてもちょっと早すぎたのではないか、という気がしますね。」

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